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恋慕れんぼ

カッコイイ表現ですよねえ。見聞きした瞬間にこう・・・ほろ苦い思い出が蘇ってきました。
※今回は人によっては薄ら寒さを感じるかもしれません。ご了承ください。

今回はこの言葉を日常会話においてどうやって上手く言いまわすことが出来るか
語彙符「ビギナースタティック」な私が色々と考えてみます。

と言ったな、あれは嘘だ。

誰だお前。」ってか。

私は上海アリス幻樂団制作の東方Projectの作品「東方紺珠伝」という
ゲームに出てくる霧雨魔理沙ってキャラの立ち絵から生まれた……
なんというか、概念かな。
まあ気軽に"魔理ちゃん"とでも呼んでくれればいい。



私の両親は……人里で道具屋「霧雨店」を経営している。
というのは原作の"私"の設定で

この"私"の場合は匿名掲示板「ふたば☆ちゃんねる」の板の一つ
東方裏に住むとしあきたちが父親であり母親でもある。

元を辿れば左の私の絵を書いたのも、霧雨魔理沙というキャラを作ったのも
全て神主と呼ばれている原作者のZUNさんだけどな。
創造主という括りであれば彼が父と母に当たる。
                        今回は私と一緒に学んでもらう(強制)よろしくね。


さて、今回の言葉は「恋慕れんぼ」だったな。「こいまく」じゃないよ。
ん、変だぜ。恋慕と聞くと何故か幽々子のイメージが
頭の中に微かに浮かんできたんだが……気のせいだよな。
しかし……奇遇だなぁ。私もミニ八卦炉を使ったスペカの名前には
よく「」の字を取り入れたりするんだ。
符「マスタースパーク」
とか符「ワイドマスター」とかな。

そんな「恋慕」の、言葉としての意味を今一度確認してみるか。
                        って入ってる時点で大体想像つくけどな。

れん‐ぼ【恋慕】
1.[名](スル)特定の異性を恋い慕うこと。「―の情」「人妻に―する」「横―」
2.尺八曲「鈴慕(れいぼ)」の異称。         恋慕(レンボ)とは - コトバンク


……2は固有名詞だ。「鈴慕れいぼ」というのはもっぱら
尺八古典本曲の曲名の語基に冠するものとして用いる言葉らしい。
「松巌軒鈴慕」とか「布袋軒鈴慕」といったようにね。

何故知ってるかって?
菫子に頼んで文明の利器で色々と調べてもらったんだ。
スマホがあれば何でも分かる。とはあいつの言ってたことだが
あながち間違っちゃいないかもしれないな。今度しばらく借りてみるか。
                        ……え?ここ幻想郷では圏外になる……だと……?


しかし、じゃあ改めて「鈴慕れいぼ」ってなんだろうな。

クラシックの曲名によく使われる言い回しで「のための」というのがあるんだが
「2台のピアノのためのソナタ(モーツァルト)」
「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (ブラームス)」
「亡き王女のためのパヴァーヌ(ラヴェル)」
みたいな接中辞に使われるものと同じ用法なのだろうか?
……多分違うなこりゃ。 というわけでまたあいつに調べてもらったぜ。


鈴慕(レイボ)
奥州系の尺八古典本曲。琴古(キンコ)流、明暗真法(ミョウアンシンポウ)流、
明暗対山(ミョウアンタイザン)、錦風(キンプウ)流、西園(セイエン)流の本曲。
普化宗では各寺軒に固有の鈴慕を所伝し、地名や寺名を冠して伝え、これを一寺一律といった。
九州鈴慕・京鈴慕など多数の種類がある。
(以下略)             鈴慕 -楽曲解説-


……ますますやっかいな話になってきたぞ。
拳法の流派みたいなものだと解釈すればいいのかな……。

正直2の意味で普通の人が日常会話に混ぜて使うには馴染みが薄い気がする。

日本史の講義や、尺八楽や能楽に精通してる人、もしくは
知識人同士の何かレベルの高そうな会話でしか出てこなさそうだし……。
今じゃこの意味で使うことはほとんど無いだろうな。



日常会話で使うとしたら1の意味が適当かな。
といってもこれだと愛というデリケートな所を突いてくるわけだしなぁ。

ふーん、ねえ……。
じゃあ「人を冷やかすようにして使う」ってのはどうだろう。
あいつは美形の男とすれ違うたびに恋慕してるんだぜ。惚れっぽすぎるだろ

あー?微妙だな。
                        これなら「顔が赤くなってる」に言い換えたほうが煽ってる感じは出るだろうし。


うーむ……いざこうやって考え出すとなかなか……頭に浮かんでこないな。

今思い直すと、これは日常会話に混ぜて使うよりは
詩的な文学作品で使ったほうがいい言葉なのかもしれない。

上に載せたコトバンクの解説にある「―の情」って表現を借りるとするなら
その時僕は生涯初めて、恋慕の情が芽生えた
みたいな感じで使えばまあ、特に違和感は無い。



そもそもを表す言葉や表現って色々あるしなぁ。
何も「恋慕」という単語に拘る必要性はそこまで無いんだ。

平安時代の男女は短歌で告白しあうのが普通だった。
今の時代にその方法で気持ちを伝えたら、確かに笑われてしまうだろう。

その時代、その場所、その雰囲気にそぐう言葉を
一生懸命自分で考えて決めた方が、何よりがあって良いかもしれないな。



とまぁ、結局中身が無い感じになってしまったが今日はここまでとしよう。

短い?気のせいだろう。
決して飽きたわけじゃあないぜ!

どうせこんなの一回こっきりだろうしな。


                        ~ おわり ~

2016/06/10
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